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    <title>きょうが最善の日</title>
    <description>その日その日が一年中の最善の日である（ラルフ・ワルド・エマーソン）。
ってなわけで、気軽に日々の気づきをつづりたい。</description>
    <link>https://heiwataishi.satsumablog.com/</link>
    <language>ja</language>
    <copyright>Copyright (C) NINJATOOLS ALL RIGHTS RESERVED.</copyright>

    <item>
      <title>高杉晋作の誕生日（旧暦）　</title>
      <description>&lt;pre&gt;
9月27日（月曜日）　旧暦8月20日
朝から雨ですね。雨は雨でいいですね。
本日は世界観光の日、羽生善治の誕生日、朝青龍明徳の誕生日です。
そして、高杉晋作の誕生日（旧暦）です。
ＮＨＫ「その時歴史が動いた」の名言ベスト20では、1位が
「おもしろきこともなき世をおもしろく&amp;hellip;」だったようです。
吉田松陰も&lt;font&gt;「識見気魄他人及ぶなく、人の駕御を受けざる高等の人物なり」と評しました。&lt;/font&gt;&lt;/pre&gt;
&lt;a title=&quot;新しいウィンドウで拡大画像を開きます&quot; target=&quot;new&quot; href=&quot;http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/121_1.html&quot;&gt;&lt;img height=&quot;260&quot; width=&quot;197&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;高杉晋作の肖像 その1&quot; src=&quot;http://www.ndl.go.jp/portrait/260_260/427-53/002/0047_r.jpg&quot; /&gt;&lt;/a&gt;
&lt;div class=&quot;photo&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;p class=&quot;contents&quot;&gt;山口生まれ。倒幕派の中心となった人物。父は萩藩士。藩校明倫館、松下村塾に学ぶ。安政5年(1858)に昌平 黌に入学するが、6年(1859)藩命で帰国する。文久3年(1863)萩藩外国船攻撃の際、登用されて奇兵隊を結成し、外国勢と戦う。元治元年 (1864)四国連合艦隊との講和において正使として活躍。第1次長州征討の後、藩論を討幕に転換し、慶応2年(1866)薩摩藩との間に薩長連合を締 結。同年6月第2次長州征討で指揮をとり、各地で幕府軍を打ち破ったが、翌年馬関で病死した。&lt;/p&gt;
&lt;pre&gt;
&lt;/pre&gt;</description> 
      <link>https://heiwataishi.satsumablog.com/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%97%A5/%E9%AB%98%E6%9D%89%E6%99%8B%E4%BD%9C%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A7%E6%9A%A6%EF%BC%89%E3%80%80</link> 
    </item>
    <item>
      <title>西郷南洲忌</title>
      <description>&lt;pre&gt;
9月24日（金曜日）　旧暦8月17日
今年も早いもので、100日を切りました。素晴らしい毎日にしたいですね！ 
今日は尊敬する西郷さんの命日です。

&lt;/pre&gt;
&lt;div class=&quot;photo&quot;&gt;&lt;a href=&quot;http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/85_1.html&quot; target=&quot;new&quot; title=&quot;新しいウィンドウで拡大画像を開きます&quot;&gt;&lt;img height=&quot;260&quot; width=&quot;201&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://www.ndl.go.jp/portrait/260_260/427-53/001/0003_r.jpg&quot; alt=&quot;西郷隆盛の肖像 その1&quot; /&gt;&lt;/a&gt;
&lt;div class=&quot;caption&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;p class=&quot;contents&quot;&gt;鹿児島生まれ。明治維新の指導者、政治家。鹿児島藩主島津斉彬に取り立てられる。安政の大獄と斉彬の死を契機に入水自殺を図る。その後、公武合体を目指す島津久光のもとで活躍するも、久光と衝突し、配流。召還後、第1次長州征討では幕府側の参謀として活躍。以後、討幕へと方向転換をはかり、坂本竜馬の仲介で長州の木戸孝允と薩長連合を結ぶ。勝海舟とともに江戸城無血開城を実現し、王政復古のクーデターを成功させた。新政府内でも参議として維新の改革を断行。明治6年(1873)征韓論に敗れ下野。10年(1877)郷里の私学校生徒に促されて挙兵(西南戦争)するが、政府軍に敗北し、自刃した。&lt;/p&gt;
&lt;pre&gt;
私の最も尊敬する方なので、簡単にまとめることも出来ませんので、&amp;nbsp;
他の尊敬する方々の言葉をつづります。

坂本龍馬： 
西郷は釣り鐘のような男だ。少なく叩けば少なく響き、大きく叩けば大きく響く。
もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう。

勝海舟：
歴史というものは実に難しいものだ。西郷はどれほど大きかったかわからない。
高輪の一談判で、俺の意見を通じてくれたのみならず、江戸全都鎮撫の退任までを一切俺に
任せておいて少しも疑わない。
昨日まで敵味方であったという考えは、どこかえ忘れてしまったようだ。
その度胸の大きさには俺もほとほと感心したよ、あんな人物に出会うと、たいていな者が
知らず知らずその人に使われてしまうものだ。
小細工や口先の小理屈では、世の中はどうしても承知すまい。
『敵に 味方あり、味方に敵あり』といって互いに腹を知り合った日には、
敵味方の区別はないので、いわゆる肝胆相照らすとはつまりここのことだ。 

内村鑑三：
『敬天愛人』の言葉が西郷の人生観を要約している。
それはまさに知の最高極致であり、反対の無知は自己愛で有ります。

新渡戸稲造：
旧制一校（現東大）教師時代学生より「日本にリンカーンのような人はいるか」と問われ、
言下に「それは西郷隆盛だ」と答える。
&lt;/pre&gt;
&lt;br /&gt;</description> 
      <link>https://heiwataishi.satsumablog.com/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%97%A5/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E5%8D%97%E6%B4%B2%E5%BF%8C</link> 
    </item>
    <item>
      <title>大久保利通の誕生日（旧暦）　</title>
      <description>&lt;div class=&quot;photo&quot;&gt;
&lt;pre&gt;
9月17日（金曜日）　旧暦8月10日
今日もいい一日だ。晴れて清々しい。
モノレール開業記念日、石川遼の誕生日、
そして、大久保利通の旧暦の誕生日です。
&lt;/pre&gt;
&lt;img src=&quot;file:///C:/DOCUME~1/AD6B3~1.SHI/LOCALS~1/Temp/moz-screenshot.png&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/div&gt;
&lt;img height=&quot;260&quot; width=&quot;197&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://www.ndl.go.jp/portrait/260_260/427-53/001/0005_r.jpg&quot; alt=&quot;大久保利通の肖像 その1&quot; /&gt;
&lt;div class=&quot;photo&quot;&gt;鹿児島生まれ。政治家。明治維新の指導者。島津久光のもとで公武合体運動を推進。やがて討幕へと転じ、薩長連合を成立させる一方、岩倉具視ら と結んで慶応3年(1867)12月、王政復古のクーデターを敢行。版籍奉還や廃藩置県を推進し、新政府の基礎を固める。参議、大蔵卿を経て明治4年 (1871)特命全権副使として岩倉遣外使節団に随行。帰国後、内政整備を主張し、征韓派参議を下野させるとともに、参議兼内務卿となり、政権を掌握。地 租改正、殖産興業の推進など、重要施策を実行した。西南戦争に至るまでの各地の士族反乱を鎮圧するも、11年(1878)士族に暗殺される。&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
金銭には潔白で私財をなすことをせず、逆に予算のつかないが必要な公共事業に 私財を投じ、国の借金を個人で埋めるような有様だったため、死後は8,000円もの借金が残った。ただし残った借財の返済を遺族に求める商人はいなかっ た。政府は協議の結果、大久保が生前に鹿児島県庁に学校費として寄付した8,000円を回収し、さらに8,000円の募金を集めてこの1万6,000円で 遺族を養うことにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西郷死亡の報せを聞くと号泣し、時々鴨居に頭をぶつけながらも家の中をグルグル歩き回っていた（この際、「おはんの死と共に、新しか日本がうまれる。強か日本が&amp;hellip;&amp;hellip;」と言ったようだ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治８年１０月２０日　岩倉具視への手紙&lt;br /&gt;
「国家創業の折には、難事は常に起こるものである。そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしない」&lt;br /&gt;
原文の記述&lt;br /&gt;
「国家創業の際是(これ)位(くらい)の難事は常といたし（中略）我が一人を以って国家を維持するの境界(きょうがい)なくては堅忍(けんにん)耐久(た いきゅう)志業(しぎょう)を成すこと能(あた)はさるべし」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西郷さんはもちろん尊敬してますが、大久保さんもとても尊敬します。&lt;br /&gt;</description> 
      <link>https://heiwataishi.satsumablog.com/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%97%A5/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E9%80%9A%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A7%E6%9A%A6%EF%BC%89%E3%80%80</link> 
    </item>
    <item>
      <title>かまとバアの誕生日　</title>
      <description>&lt;pre&gt;
9月16日（木曜日）　旧暦8月9日
今日もいい一日だ。珍しく強い雨も降りましたね。
オゾン層保護のための国際デー、独立記念日 [メキシコ]、
そして、本郷かまとさんの誕生日、緒方貞子さんの誕生日です。

やはり明るいのは、幸せに生きる秘訣ですね！
&amp;nbsp;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt; &lt;/font&gt;&lt;font size=&quot;2&quot;&gt;&lt;font&gt;&lt;img height=&quot;7&quot; width=&quot;20&quot; src=&quot;http://www.pdfworld.co.jp/museum/shiryo/kamato/images/toumei7.gif&quot; alt=&quot;toumei7.gif (817 バイト)&quot; /&gt;&lt;img height=&quot;249&quot; width=&quot;188&quot; src=&quot;http://www.pdfworld.co.jp/museum/shiryo/kamato/images/116-kamato01.jpg&quot; alt=&quot;116-kamato01.jpg (11419 バイト)&quot; /&gt; &lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;strong&gt;&lt;font size=&quot;2&quot;&gt;     &lt;/font&gt;&lt;/strong&gt;&lt;font size=&quot;2&quot;&gt;&lt;font&gt;最晩年には2日寝て2日起きるという生活をしていた。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;
&lt;font size=&quot;2&quot;&gt;&lt;font&gt;2003年10月31日午後5時過ぎ、肺炎のため逝去。 &lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;font size=&quot;2&quot;&gt;&lt;font&gt; 眠りの周期に入ったまま2度と起きることはなかった（満116歳没）。 &lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;font size=&quot;2&quot;&gt;   &lt;/font&gt;

彼女の好物は黒糖、豚肉、魚のお刺身、焼酎、お茶だったそうで、また、長寿の秘訣を聞かれる度に
「くよくよしないこと！」とおっしゃっていたそうです。
もともと非常に明るい性格の持ち主で、徳之島の闘牛のことを歌ったワイド節などの島唄を聞きながら
手踊りすること（扇などの小道具を持たずに踊ること）を愛して止まなかったといいます。&lt;/pre&gt;</description> 
      <link>https://heiwataishi.satsumablog.com/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%97%A5/%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%83%90%E3%82%A2%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5%E3%80%80</link> 
    </item>
    <item>
      <title>新渡戸稲造の誕生日（旧暦）　</title>
      <description>9月15日（金曜日）　旧暦8月8日&lt;br /&gt;
今日もいい一日だ。昨日は恵みの雨も降りましたしね。&lt;br /&gt;
新渡戸稲造の旧暦の誕生日であり、マルコ・ポーロの誕生日です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img height=&quot;120&quot; width=&quot;100&quot; alt=&quot;新渡戸稲造&quot; src=&quot;http://www.makuya.or.jp/forjapan/gif/nitobe.gif&quot; /&gt;          &lt;img height=&quot;71&quot; width=&quot;220&quot; alt=&quot;国を思い　世を憂うればこそ　何事も　忍ぶ心は　神は知るらん&quot; src=&quot;http://www.makuya.or.jp/forjapan/gif/nitobeuta.gif&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９１９年、新渡戸先生は、豊かな国際性と学識のゆえに、日本代表として国際連盟事務次長に推薦されました。ところを得た新渡戸先生は、そこで大活躍をされ、７年の任期を終えて辞任するときは、「国際連盟の輝く星」とまで賞賛されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代表的著書・『武士道』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新渡戸先生の晩年、世界は、彼が待ち望んでいた国際平和の実現とはほど遠いものとなりました。帝国主義の成長とともに、世界の強国は互いに疑惑と嫉妬の眼を向け合い、平和の思想と芸術を交換して喜び合った時代は過ぎ去りました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、パシフィック・オーシャン(おおいなる平和の海)と呼ばれる太平洋にも波風がたちはじめました。新渡戸先生は、日米に渦巻く相互不信を取り除くために、最後の力をふりしぼって奔走します。けれども、新渡戸の真意は同胞の日本人からも、アメリカ人からも理解されることはありませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
時の流れの中で、日本は国際連盟を脱退し、国民の中に、軍国思想が勢いを増してゆきます。そんな日本の前途を憂えて、新渡戸先生が、「我が国を滅ぼすものは共産党と軍閥である」と語ったことが新聞に載りました。それによって軍部や右翼の激しい反発を買い、幾度か命の危険にさらされます。それまでの新渡戸先生を賞賛した声は、糾弾の叫びに変わり、多くの友人や弟子たちも去ってゆきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世の風評はどうあれ、昭和天皇は新渡戸先生を深く信頼なさり、幾度か宮中に呼ばれ、アメリカの情勢をお尋ねでした。新渡戸先生は天皇のご意向を受け、日米戦争を回避するためにアメリカに渡り、日本の立場を訴えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、「新渡戸は軍部の代弁に来たのか」と言って、アメリカの友人からも理解されず、冷たい反応を受けるばかりでした。そのころの心境を、新渡戸先生は歌に託して親しい友人に書き送っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
折らば折れ　折れし梅の枝　折れてこそ　花に色香を　いとど添ふらん&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌年(１９３３年)、新渡戸先生は、カナダ・バンフの太平洋会議に出席します。帰路、病に倒れ、バンクーバー市の近くのビクトリアにおいて、愛妻メアリーに看取られつつ、天に帰りました。７１歳でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人々から誤解され、中傷されても、「太平洋の橋」としての使命に殉じた新渡戸稲造先生。そこに先駆者としての血の滲む労苦をみます。彼は、「橋は決して一人では架けられない。何世代にも受け継がれてはじめて架けられる」と言って、後代の私たちに夢を託しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;</description> 
      <link>https://heiwataishi.satsumablog.com/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%97%A5/%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A7%E6%9A%A6%EF%BC%89%E3%80%80</link> 
    </item>
    <item>
      <title>乃木大将の日　</title>
      <description>9月13日（月曜日）　旧暦8月6日&lt;br /&gt;
今日もいい一日だ。何と言っても清々しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日は乃木大将の日。「坂の上の雲」を読んでると、疑問も持つが、間違いなく立派な侍だったろう。&lt;br /&gt;
戦争も自決もあってはならないが、忠孝の精神は今の日本人も忘れてはならない！と思うのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1912(大正元)年のこの日に乃木希典陸軍大将とその妻・静子が殉死した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
武人としての評価は分かれるところであり、西南戦争のとき軍旗を失い自決しようとしたが、諫められ、日露戦争では、明治天皇に復命の際、「旅順の攻撃には 半年の長日月を要し多大の犠牲を供し・・・・・」と述べて、自分の作戦の失敗から多くの国民の命を落としたことの責任を痛感され、死をもって国民の前に謝 罪したいといわれた。&lt;br /&gt;
「愧ず我れ何の顔あってか父老に看ん」という詩も、乃木希典の人間性を素直に現わしています。&lt;br /&gt;
しかし、明治天皇は「今は死すべきときでない」と慰撫し、悲痛の乃木希典に、その心で昭和天皇の教育を頼むということで、学習院院長にと発議し任命されました。&lt;br /&gt;
学習院院長在任中の明治４５年（１９１２年）夏のこと、生徒を引率して鎌倉に水泳訓練に行っているとき、天皇の容態の急変を知らされ、急いで東京へ帰り病床を見舞ったが７月３０日、天皇は崩御になった。&lt;br /&gt;
乃木希典の死の許されるときがきたと思われたことでしょう。&lt;br /&gt;
９月１３日静子夫人を伴って葬儀に参列し、天皇に最後のお別れをした後、赤坂の自宅にもどり、二階八帖の間に於いて自決されました。&lt;br /&gt;
武官としての作戦の責任と、多くの犠牲を深く恥じた乃木希典のこの自刃は文人としての心情に裏打ちされた武士道・明治の終焉でありました。&lt;br /&gt;</description> 
      <link>https://heiwataishi.satsumablog.com/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%97%A5/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E5%A4%A7%E5%B0%86%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%80%80</link> 
    </item>
    <item>
      <title>伊達政宗の誕生日（旧暦）　</title>
      <description>9月10日（金曜日）　旧暦8月3日&lt;br /&gt;
今日もいい一日だ。&lt;br /&gt;
伊達政宗の旧暦の誕生日であり、木村政彦の誕生日だ。（ちなみに1873年以前は旧暦）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【伊達政宗遺訓】&lt;br /&gt;
一：仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐれば諂（へつらい）となる。&lt;br /&gt;
智に過ぐれば嘘を吐く。信に過ぐれば損をする。&lt;br /&gt;
一：気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。&lt;br /&gt;
倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。&lt;br /&gt;
一：朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ。&lt;br /&gt;
一：今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申すがよし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この世に客に来たと思う境地も深いな～！&lt;br /&gt;</description> 
      <link>https://heiwataishi.satsumablog.com/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%97%A5/%E4%BC%8A%E9%81%94%E6%94%BF%E5%AE%97%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A7%E6%9A%A6%EF%BC%89%E3%80%80</link> 
    </item>
    <item>
      <title>重陽の節句</title>
      <description>9月9日（木曜日）　旧暦8月2日&lt;br /&gt;
今日もいい一日だ。何といっても朝から涼しい。しかも【たいへんめでたい重陽の節句】です。&lt;br /&gt;
そしてカーネル・サンダースの誕生日。年をとっても、熱意があれば何でも出来るぞ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
重陽の節句&lt;br /&gt;
奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なることから「重陽」と呼ばれる。&lt;br /&gt;
陽の極が2つ重なることからたいへんめでたい日とされ、邪気を払い長寿を願って、菊の花をかざったり酒を酌み交わして祝ったりしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
カーネル・サンダース&lt;br /&gt;
30代後半、「自分の将来は自分で決めよう」と独立します。注文の前に、埃だらけの車の窓をサービスで洗 いラジエーターの水を調べる。「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」という信念の実践でした。大恐慌と干ばつにより、農民に貸 していたガソリン代が回収できずにスタンドはつぶれ、正に挫折の連続で半生が過ぎます。しかし、幾度失敗しても立ち上がるサンダース。晩年に私たちに遺し た言葉は、その経験から生まれました。 					 &lt;img height=&quot;5&quot; width=&quot;1&quot; src=&quot;http://japan.kfc.co.jp/tale/img/space.gif&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;
&lt;p class=&quot;high_height&quot;&gt;&lt;img height=&quot;150&quot; width=&quot;174&quot; class=&quot;ichir&quot; src=&quot;http://japan.kfc.co.jp/tale/img/p3.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;span class=&quot;t2&quot;&gt;ほんとうに美味しいものは歳をとらない 						  &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img height=&quot;5&quot; width=&quot;1&quot; src=&quot;http://japan.kfc.co.jp/tale/img/space.gif&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
ガソリンスタンドを利用する人たちのために物置を改造して6席だけの小さなレストラン「サンダース・カフェ」をコービンに造ったのは1930年6月。片腕 の自慢の息子を亡くすという不幸を乗り越えながら、スタンドはサービスの良さで、カフェは味で評判となります。その目玉 が独特なフライドチキン。素材にまでこだわった手づくりの味と細やかなサービスに、来客は列をなし、人々への貢献により1935年にケンタッキー州知事か ら名誉称号「カーネル」を授与されます。その後、火事や新ハイウエーによる人の流れの変化など、苦難は次々と続きますが「猛然と働く意欲」と「サザン・ホ スピタリティ」を忘れることはありませんでした。そして客席を回ってお客様にご満足しているかうかがいながら「私の料理がもし美味しくなかったら、お代は いりません」と明言し、自分の料理への自信と愛情を隠しませんでした。試行錯誤の末にフライドチキンのオリジナル・レシピを完成させたのが1939年。以 降70年余、この味は変わることなく今に受け継がれているのです。&lt;/p&gt;
&lt;img height=&quot;5&quot; width=&quot;1&quot; src=&quot;http://japan.kfc.co.jp/tale/img/space.gif&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; 					    &lt;img height=&quot;174&quot; width=&quot;150&quot; class=&quot;ichir&quot; src=&quot;http://japan.kfc.co.jp/tale/img/p4.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;span class=&quot;t2&quot;&gt;日本が一番好き&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img height=&quot;5&quot; width=&quot;1&quot; src=&quot;http://japan.kfc.co.jp/tale/img/space.gif&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
新しいハイウエーの建設により車の流れが変って維持できなくなった店を手放し、負債を支払ったカーネルの手元にはいくらも残りませんでした。フライドチキ ンの調理法だけが唯一の財産。この時、65才。しかし、不屈のカーネルは、それを教える代わりに売れたチキン1羽につき5セントを受けるというFCビジネ スを始めます。車で各地を回る強行軍ながらビジネスは成功。73才の時にはチェーンは600店を超えていました。ここで権利を譲渡し、その後は、自分の調 理法が正しく行われ美味しいフライドチキンがきちんと提供されているか、各地の店舗をみて回ります。その旅は世界各地に及び、年間数十万キロにまでなりま した。&lt;br /&gt;
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