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大久保利通の誕生日(旧暦)
2010年09月17日
9月17日(金曜日) 旧暦8月10日 今日もいい一日だ。晴れて清々しい。 モノレール開業記念日、石川遼の誕生日、 そして、大久保利通の旧暦の誕生日です。


鹿児島生まれ。政治家。明治維新の指導者。島津久光のもとで公武合体運動を推進。やがて討幕へと転じ、薩長連合を成立させる一方、岩倉具視ら と結んで慶応3年(1867)12月、王政復古のクーデターを敢行。版籍奉還や廃藩置県を推進し、新政府の基礎を固める。参議、大蔵卿を経て明治4年 (1871)特命全権副使として岩倉遣外使節団に随行。帰国後、内政整備を主張し、征韓派参議を下野させるとともに、参議兼内務卿となり、政権を掌握。地 租改正、殖産興業の推進など、重要施策を実行した。西南戦争に至るまでの各地の士族反乱を鎮圧するも、11年(1878)士族に暗殺される。
金銭には潔白で私財をなすことをせず、逆に予算のつかないが必要な公共事業に 私財を投じ、国の借金を個人で埋めるような有様だったため、死後は8,000円もの借金が残った。ただし残った借財の返済を遺族に求める商人はいなかっ た。政府は協議の結果、大久保が生前に鹿児島県庁に学校費として寄付した8,000円を回収し、さらに8,000円の募金を集めてこの1万6,000円で 遺族を養うことにした。
西郷死亡の報せを聞くと号泣し、時々鴨居に頭をぶつけながらも家の中をグルグル歩き回っていた(この際、「おはんの死と共に、新しか日本がうまれる。強か日本が……」と言ったようだ)。
明治8年10月20日 岩倉具視への手紙
「国家創業の折には、難事は常に起こるものである。そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしない」
原文の記述
「国家創業の際是(これ)位(くらい)の難事は常といたし(中略)我が一人を以って国家を維持するの境界(きょうがい)なくては堅忍(けんにん)耐久(た いきゅう)志業(しぎょう)を成すこと能(あた)はさるべし」
西郷さんはもちろん尊敬してますが、大久保さんもとても尊敬します。
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