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西郷南洲忌
2010年09月24日
9月24日(金曜日) 旧暦8月17日 今年も早いもので、100日を切りました。素晴らしい毎日にしたいですね! 今日は尊敬する西郷さんの命日です。
鹿児島生まれ。明治維新の指導者、政治家。鹿児島藩主島津斉彬に取り立てられる。安政の大獄と斉彬の死を契機に入水自殺を図る。その後、公武合体を目指す島津久光のもとで活躍するも、久光と衝突し、配流。召還後、第1次長州征討では幕府側の参謀として活躍。以後、討幕へと方向転換をはかり、坂本竜馬の仲介で長州の木戸孝允と薩長連合を結ぶ。勝海舟とともに江戸城無血開城を実現し、王政復古のクーデターを成功させた。新政府内でも参議として維新の改革を断行。明治6年(1873)征韓論に敗れ下野。10年(1877)郷里の私学校生徒に促されて挙兵(西南戦争)するが、政府軍に敗北し、自刃した。
私の最も尊敬する方なので、簡単にまとめることも出来ませんので、 他の尊敬する方々の言葉をつづります。 坂本龍馬: 西郷は釣り鐘のような男だ。少なく叩けば少なく響き、大きく叩けば大きく響く。 もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう。 勝海舟: 歴史というものは実に難しいものだ。西郷はどれほど大きかったかわからない。 高輪の一談判で、俺の意見を通じてくれたのみならず、江戸全都鎮撫の退任までを一切俺に 任せておいて少しも疑わない。 昨日まで敵味方であったという考えは、どこかえ忘れてしまったようだ。 その度胸の大きさには俺もほとほと感心したよ、あんな人物に出会うと、たいていな者が 知らず知らずその人に使われてしまうものだ。 小細工や口先の小理屈では、世の中はどうしても承知すまい。 『敵に 味方あり、味方に敵あり』といって互いに腹を知り合った日には、 敵味方の区別はないので、いわゆる肝胆相照らすとはつまりここのことだ。 内村鑑三: 『敬天愛人』の言葉が西郷の人生観を要約している。 それはまさに知の最高極致であり、反対の無知は自己愛で有ります。 新渡戸稲造: 旧制一校(現東大)教師時代学生より「日本にリンカーンのような人はいるか」と問われ、 言下に「それは西郷隆盛だ」と答える。
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