忍者ブログ
< 07月 | 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 | 09月 >
Home >  > [PR]Home > 今日は何の日 > 西郷南洲忌

[PR]

2025年08月21日

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

▲page top

西郷南洲忌

2010年09月24日

9月24日(金曜日) 旧暦8月17日
今年も早いもので、100日を切りました。素晴らしい毎日にしたいですね! 
今日は尊敬する西郷さんの命日です。

西郷隆盛の肖像 その1
 

鹿児島生まれ。明治維新の指導者、政治家。鹿児島藩主島津斉彬に取り立てられる。安政の大獄と斉彬の死を契機に入水自殺を図る。その後、公武合体を目指す島津久光のもとで活躍するも、久光と衝突し、配流。召還後、第1次長州征討では幕府側の参謀として活躍。以後、討幕へと方向転換をはかり、坂本竜馬の仲介で長州の木戸孝允と薩長連合を結ぶ。勝海舟とともに江戸城無血開城を実現し、王政復古のクーデターを成功させた。新政府内でも参議として維新の改革を断行。明治6年(1873)征韓論に敗れ下野。10年(1877)郷里の私学校生徒に促されて挙兵(西南戦争)するが、政府軍に敗北し、自刃した。

私の最も尊敬する方なので、簡単にまとめることも出来ませんので、 
他の尊敬する方々の言葉をつづります。

坂本龍馬: 
西郷は釣り鐘のような男だ。少なく叩けば少なく響き、大きく叩けば大きく響く。
もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう。

勝海舟:
歴史というものは実に難しいものだ。西郷はどれほど大きかったかわからない。
高輪の一談判で、俺の意見を通じてくれたのみならず、江戸全都鎮撫の退任までを一切俺に
任せておいて少しも疑わない。
昨日まで敵味方であったという考えは、どこかえ忘れてしまったようだ。
その度胸の大きさには俺もほとほと感心したよ、あんな人物に出会うと、たいていな者が
知らず知らずその人に使われてしまうものだ。
小細工や口先の小理屈では、世の中はどうしても承知すまい。
『敵に 味方あり、味方に敵あり』といって互いに腹を知り合った日には、
敵味方の区別はないので、いわゆる肝胆相照らすとはつまりここのことだ。 

内村鑑三:
『敬天愛人』の言葉が西郷の人生観を要約している。
それはまさに知の最高極致であり、反対の無知は自己愛で有ります。

新渡戸稲造:
旧制一校(現東大)教師時代学生より「日本にリンカーンのような人はいるか」と問われ、
言下に「それは西郷隆盛だ」と答える。

PR
▲page top

Comment

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード

Trackback

URL


▲page top