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重陽の節句
2010年09月09日
9月9日(木曜日) 旧暦8月2日今日もいい一日だ。何といっても朝から涼しい。しかも【たいへんめでたい重陽の節句】です。
そしてカーネル・サンダースの誕生日。年をとっても、熱意があれば何でも出来るぞ!
重陽の節句
奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なることから「重陽」と呼ばれる。
陽の極が2つ重なることからたいへんめでたい日とされ、邪気を払い長寿を願って、菊の花をかざったり酒を酌み交わして祝ったりしていた。
カーネル・サンダース
30代後半、「自分の将来は自分で決めよう」と独立します。注文の前に、埃だらけの車の窓をサービスで洗 いラジエーターの水を調べる。「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」という信念の実践でした。大恐慌と干ばつにより、農民に貸 していたガソリン代が回収できずにスタンドはつぶれ、正に挫折の連続で半生が過ぎます。しかし、幾度失敗しても立ち上がるサンダース。晩年に私たちに遺し た言葉は、その経験から生まれました。

ほんとうに美味しいものは歳をとらない
ガソリンスタンドを利用する人たちのために物置を改造して6席だけの小さなレストラン「サンダース・カフェ」をコービンに造ったのは1930年6月。片腕 の自慢の息子を亡くすという不幸を乗り越えながら、スタンドはサービスの良さで、カフェは味で評判となります。その目玉 が独特なフライドチキン。素材にまでこだわった手づくりの味と細やかなサービスに、来客は列をなし、人々への貢献により1935年にケンタッキー州知事か ら名誉称号「カーネル」を授与されます。その後、火事や新ハイウエーによる人の流れの変化など、苦難は次々と続きますが「猛然と働く意欲」と「サザン・ホ スピタリティ」を忘れることはありませんでした。そして客席を回ってお客様にご満足しているかうかがいながら「私の料理がもし美味しくなかったら、お代は いりません」と明言し、自分の料理への自信と愛情を隠しませんでした。試行錯誤の末にフライドチキンのオリジナル・レシピを完成させたのが1939年。以 降70年余、この味は変わることなく今に受け継がれているのです。



新しいハイウエーの建設により車の流れが変って維持できなくなった店を手放し、負債を支払ったカーネルの手元にはいくらも残りませんでした。フライドチキ ンの調理法だけが唯一の財産。この時、65才。しかし、不屈のカーネルは、それを教える代わりに売れたチキン1羽につき5セントを受けるというFCビジネ スを始めます。車で各地を回る強行軍ながらビジネスは成功。73才の時にはチェーンは600店を超えていました。ここで権利を譲渡し、その後は、自分の調 理法が正しく行われ美味しいフライドチキンがきちんと提供されているか、各地の店舗をみて回ります。その旅は世界各地に及び、年間数十万キロにまでなりま した。
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