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2025年08月21日

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新渡戸稲造の誕生日(旧暦) 

2010年09月15日

9月15日(金曜日) 旧暦8月8日
今日もいい一日だ。昨日は恵みの雨も降りましたしね。
新渡戸稲造の旧暦の誕生日であり、マルコ・ポーロの誕生日です。

新渡戸稲造 国を思い 世を憂うればこそ 何事も 忍ぶ心は 神は知るらん

1919年、新渡戸先生は、豊かな国際性と学識のゆえに、日本代表として国際連盟事務次長に推薦されました。ところを得た新渡戸先生は、そこで大活躍をされ、7年の任期を終えて辞任するときは、「国際連盟の輝く星」とまで賞賛されました。

代表的著書・『武士道』

新渡戸先生の晩年、世界は、彼が待ち望んでいた国際平和の実現とはほど遠いものとなりました。帝国主義の成長とともに、世界の強国は互いに疑惑と嫉妬の眼を向け合い、平和の思想と芸術を交換して喜び合った時代は過ぎ去りました。

そして、パシフィック・オーシャン(おおいなる平和の海)と呼ばれる太平洋にも波風がたちはじめました。新渡戸先生は、日米に渦巻く相互不信を取り除くために、最後の力をふりしぼって奔走します。けれども、新渡戸の真意は同胞の日本人からも、アメリカ人からも理解されることはありませんでした。

時の流れの中で、日本は国際連盟を脱退し、国民の中に、軍国思想が勢いを増してゆきます。そんな日本の前途を憂えて、新渡戸先生が、「我が国を滅ぼすものは共産党と軍閥である」と語ったことが新聞に載りました。それによって軍部や右翼の激しい反発を買い、幾度か命の危険にさらされます。それまでの新渡戸先生を賞賛した声は、糾弾の叫びに変わり、多くの友人や弟子たちも去ってゆきました。

世の風評はどうあれ、昭和天皇は新渡戸先生を深く信頼なさり、幾度か宮中に呼ばれ、アメリカの情勢をお尋ねでした。新渡戸先生は天皇のご意向を受け、日米戦争を回避するためにアメリカに渡り、日本の立場を訴えます。

しかし、「新渡戸は軍部の代弁に来たのか」と言って、アメリカの友人からも理解されず、冷たい反応を受けるばかりでした。そのころの心境を、新渡戸先生は歌に託して親しい友人に書き送っています。

折らば折れ 折れし梅の枝 折れてこそ 花に色香を いとど添ふらん

翌年(1933年)、新渡戸先生は、カナダ・バンフの太平洋会議に出席します。帰路、病に倒れ、バンクーバー市の近くのビクトリアにおいて、愛妻メアリーに看取られつつ、天に帰りました。71歳でした。

人々から誤解され、中傷されても、「太平洋の橋」としての使命に殉じた新渡戸稲造先生。そこに先駆者としての血の滲む労苦をみます。彼は、「橋は決して一人では架けられない。何世代にも受け継がれてはじめて架けられる」と言って、後代の私たちに夢を託しました。


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